創業1914 大正3年

名張市新田2205-3
電話 0595-67-1980
代表者 生田 亮司
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■ 取扱商品・サービス

 現在は空気調和設備、機械設備・電気設備の分野で、企画・提案・設計・施工・監理を営んでいます。

■ 事業の沿革

 大正3年(1914年)、名張市元町で祖父の生田楢雄が火縄銃の製作を始めたのが弊社の起源になります。その後空気銃の製作を手掛け、生田鉄工所を開設しました。
 2代目に当たる、父の奈良一の代になってからは、井戸ポンプの販売や上水道の普及を図る目的で管工事業を始めました。それに伴い家電製品の販売も取り扱うようになり、元町から木屋町に社屋を移転後、名張生田住設機器の屋号で事業を始めました。
 3代目の私、生田亮司が家業の家電販売業を引き継いだのは23歳のときです。しばらくの間は建設業を営んでいませんでしたが、次第に空調設備工事業へシフトし、私が34歳のときに個人事業から名張生田住設機器株式会社へと法人成りしました。建設業、中でも電気設備工事業、機械設備工事業に取り組み始め、39歳のときに電気、管工事の施工、監理を中心とした、現在の会社の事業形態の原型を創りました。45歳になってから社屋を木屋町から新田へと新築移転し、社名を「名張生田住設機器株式会社」から「株式会社生田」へと変更し、現在に至っております。

会議室には、生田社長を始め社員の技能検定合格証が掲示されている

社屋の前で生田社長

社屋外観

■ 経営理念・特色

 名張市で創業以来、多種多様な建築物の企画・施工、監理の実績を積み重ねてまいりました。常にお客様に良質なサービスが提供できるよう「将来を見据えた提案」を心がけ、現代の複雑なエネルギー計画、高度なインフラなど日々様々な課題に取り組んでおります。空気調和設備、機械設備、電気設備のさらなる快適性を確保するためにも、新技術などを積極的に取り組み、サービスの向上・信頼性の確立を目指しております。12名の社員全員が一丸となって仕事に取り組むことを、常に意識しています。

■ “生涯社長”の気概で

 Q 初代の楢雄さんは、火縄銃の製作から始めたそうですね。
 A 創業した大正3(1914)年、祖父は江戸時代に藤堂藩で普及し、昭和初期まで狩猟家などの間で需要があった火縄銃の製作・保守を手掛けていたようです。その後は、主流でなくなった火縄銃から空気銃の生産に移りました。私が幼いころ、元町にあった鉄工所で祖父が鉄砲を触っていたのを目にしています。

 Q その後の会社の業容の変遷について教えてください。
 A 昭和の日本人の生活様式において、飲料水や生活用水は井水(井戸水)を使用しており、ポンプは鋳物製の手押し式から電気式に替わっていく時代でした。祖父は器用な人で、その両方のポンプの修理・保全などを丁寧に対応していました。今でも、祖父にポンプを修理してもらったと言ってくださる方がいます。
 先代の父、奈良一は、電気式ポンプの販売も開始し、それを契機に電気製品を取り扱うようになりました。昭和42(1967)年に名張が町から市になり、上水道の整備事業が始まると共に、市の水道組合と連携し管工事に取り組んできました。
 私は23歳で弊社に入社し、家業を継承しました。家電製品の販売から始め、その後は空調設備を通じて本業である管工事、給排水衛生工事や電気などの設備工事へ、更に建設業全般に関わる仕事に精通するようになりました。この流れは偶然ではなく、必然であったと思います。

 Q 会社の強みはどこにありますか?
 A 当社は現在、機械設備、空気調和設備、電気設備を中心に、建築設備における「設計・施工・監理」を行う建築設備設計事務所を生業としています。
 社員は12人の少数精鋭ですが管工事、電気工事、建築工事、土木工事など合計50以上の資格を個々が取得しています。各人の技術、知識を共有することで、効率の良い業務を図っています。

 Q 会社が永く続く秘訣は?
 A 昨今、環境・省エネ・ネットワークなど多くの課題がある中、当社はサスティナブル(持続可能)な発展を目指して努力しています。持続可能を維持するためには、保守・点検に注力していかなければなりません。守らなくてはいけない事、変えなければならない事の上で、会社も変化、継続することが必要だと思っています。
 これからも“生涯社長”の気概を持ち、身の丈に合った手法で取り組んで参ります。