創業1904 明治37年

名張市東町1773
電話 0595-63-0279
代表者 福本 進治

■ 取扱商品・サービス

 お米・プロパンガス・配管設備工事です。

創業当初から米の「量り売り」に使っていたはかりを紹介する福本さん

■ 事業の沿革

 おかげさまで、今年で創業100周年を迎えることが出来ました。この場をお借りして、地域の皆様に心より御礼申し上げます。
大正7年(1918年)に初代正吉が、福本米殻店として創業し、商売の基礎を築きました。
その後2代目の敬次郎、ツヤ夫婦が引き継いで、商売のイロハを学び、事業を拡大していきました。太平洋戦争中は、昭和17年(1942年)に食料配給制度が始まり、食事整備業者として合併後、昭和20年(1945年)の終戦まで、政府の支配下にて業務を行ってきました。その後昭和30年(1955年)にはLPガス販売業を併設開致しました。
こういった激動の時代に翻弄されながらも、耐え忍び、その時できることをまっすぐに取り組み続けたことで道が拓けました。その後昭和57年(1982年)から進治、真理子夫婦が経営に加わり、祖父母とともにお店を引っ張ってきて現在に至ります。

母の生まれ変わりのはなちゃんをはかりに入れて記念撮影した

■ 経営理念・特色

 当代のご令嬢の林 桂子さんにお聞きしました。(平成30年当時)

 うちの特色は、なんといっても御年92になる生き字引のような祖母です。様々なことに耐え忍び、いつも自分の事より誰かの為にと尽くし、他人が喜んでくれることを何よりの幸せと感じて仕事をしてきた祖母。お客様に会う礼儀として毎朝ちゃんと紅をさしますし、お店の留守番や決算月の帳面まできっちりこなすスーパーおばあちゃんです。その祖母のモットー「朝に希望、昼に笑顔で努力、夕に感謝、そしていつも誠実に。」を経営理念としてお店を続けて参りました。

福本さん手づくりの行灯。名張の竹で細工し、古い家の瓦を敷いた行灯には、稲穂やおむすびの絵などが描かれており、福本さんの米と地元への愛着が表れている

■ 亡き母から引き継いだ 感謝の気持ち

 3代目の福本進治さん(70)に聞きました。

 Q 事業を100年も続けてこられた中で、お母さんの存在が大きかったそうですね。
 A 2代目の父、敬次郎とともに福本商店の商売の土台を築いてくれた母ツヤが、一昨年9月に95歳で他界しました。戦前、戦後の食糧難と配給制の時代に、米と石油の販売を中心に夫婦で店を守ってきたことをよく話してくれました。
 母は亡くなる直前まで元気で、90歳を超えても誰よりもよく働き、生き字引の存在でした。母が常に言ってきたことは、お客さまへの感謝の気持ちを忘れず誠実に取り組むことで信用を得ることができるということです。

 Q 1955(昭和30)年からLPガス事業を始められたのですね。
 A 燃料が木炭、練炭からガスに切り替わり、日本経済が成長していく時代にあってLPガスを扱うようになりました。先々代が米と石油で商売の基礎を築き、先代が先見の明でLPガスに切り替え、米穀とともに事業を拡大してきました。現在は米、ガスの販売と水道や下水の配管設備工事も承っています。
 ガスという危険物を扱う仕事だけに、お客さまからの信頼が無いとできません。寒い冬に水が凍結しガス給湯器のお湯が出ないなど、何かトラブルがあった時にはすぐに駆けつけるのをモットーにしています。どんな時でも辛抱させない、ご迷惑を掛けないという気持ちです。

 Q 事業の今後について教えてください。
 A 次にバトンタッチする人がいない状況ですが、100年も続いてきた事業をこれからも続ける方向で考えています。
 母が亡くなる1か月前に、私の娘に女児(はな)が産まれました。はなは、まさに母の生まれ変わりで“命のバトンタッチ”をしたのだと思っています。商売に込めた母の思いや信念を将来にわたって引き継いでいく、そういう思いを新たにしました。
 当店が立地している東町は伊賀鉄道が走っていたころ、名張の玄関口として人通りも多く、通りにはあらゆる業種の店舗が立ち並んで繁盛していました。今は街並みがだんだん寂しくなりました。旧町の活性化のためにも、どんな形であれ店を続けていければと思っています。

店の外観