創業1910 明治43年

名張市新町139
電話 0595-63-0201
代表者 藤野 安茂

■ 取扱商品・サービス

 新鮮な魚介類を主に取り扱っています。塩干や乾物、練り物も揃えております。

「皆さんに喜んでもらえるものを提供しています」と話す安茂さん夫妻

■ 事業の沿革

 明治43年(1910年)に、新町温泉のある新道(しんみち)の先で、初代の菊之助が魚介類・缶詰などを販売し始めたのが創業です。この頃は冷凍・冷蔵の技術も今ほど発達していなかったため、魚介類の取り扱いと言ってもマグロの塩漬けや真鱈の干物など、長期間の保存ができるものを主に販売していたようです。この時代の冬は名張川が凍るほど非常に寒く、お正月用に棒鱈(※1)を戻していると、漬けている水ごと完全に凍り付いてしまったのを覚えています。
昭和21年(1946年)に2代目の六助が引き継いだ頃には、大阪の鶴橋まで鮮魚を仕入れに行っていました。この頃は地域の魚屋も多く、自転車にトロ箱を載せて売り歩く行商も盛んでした。大変だったのは昭和34年(1959年)に発生した伊勢湾台風の被害で、店に並べていた缶詰がすべて流れていってしまいました。
昭和50年(1975年)頃に私、安茂が店を継いだ後、平成に入って名張魚市場も無くなってからは、奈良県の魚市場に毎朝4時に起きて仕入れに向かっています。そして平成10年(1998年)頃から、学校給食や病院食としての魚介類の提供に力を入れ始めました。今では多い時には4,000食分の魚を切り分けたりしますので大変な仕事量ですが、美味しくて新鮮な魚を届けるために頑張っています。
※1(棒鱈(ぼうだら)とは、江戸時代からある真鱈の干物のこと。鱈を数カ月かけて天日干しして作り、食べるときには水で何日もかけて戻してから煮物にしたりする。お正月に食べる習慣がある。)

毎朝、大和郡山の市場から鮮魚を仕入れる

魚介類の他にも乾物、日用品なども並ぶ店内

■ 経営理念・特色

 大型店舗ではできない特色として、例えば、大量仕入れが困難な「のどぐろ」や「きんき」等の珍しい魚を提供出来たり、私の目利きで仕入れた品質が高い魚を提供できたり、更には、販売している魚の調理方法の相談に乗ったりできます。こういったふれあいは大型店舗ではできませんので、お客様にも喜んで頂いております。

外観

■ 昔ながらの町の魚屋で

 Q 3代目にあたる安茂さん(70)は、先代から家業を継いでもう50年になるそうですね。
 A 父、六助から引き継いだ当初、旧町界隈には魚屋が15軒ほどありましたが、それぞれ高齢になり後継ぎがいないこともあって廃業し、今では2軒になりました。
 当店では30年ほど前までは、仕出しもやっていました。結婚式、葬式、地域の祭りなどでは、各家で親戚などをもてなしたので需要も多く、その前日は寝る間を惜しんで準備しました。身体もきつくなってきたし、コンスタントに需要があるわけではないので仕出しはやめ、その後は学校給食や病院などに魚介類の提供を始めました。今では市内の小学校や保育園、老人施設などに毎日配達させて頂いています。

 Q 大型店には無い個人商店の強みと仕事のやりがいは?
 A 大型店では魚はパック入りの切り身がほとんどで、尾頭付きの魚が欲しいと言われる方も多くいます。また「のどぐろ」や「キンキ」など、大型店ではあまり置いていない高級魚や珍しい魚を待っておられる常連さんもいます。毎朝4時に起きて大和郡山の市場に行きますが、こうしたお客さまのためにも「今日もいいものを買わないかん」と、張り切って仕入れています。
 最近、若い人が「ここで買った刺身がおいしかった」とユーチューブなどで発信してくれ、初めてのお客さまに来ていただくこともあってうれしいですね。

 Q ここまで店が続けてこられた要因は?
 A 皆さんに喜んでもらえるものを提供したい、そのことを生きがいに妻と毎日、地道に取り組んでいるだけです。
 ただ昔に比べて魚の漁獲量が減って魚の種類が少なくなっているし、干物の加工業者も少なくなって仕入れ単価も年々上がるなど、小売店にとっては厳しい時代になっています。私の時代が終わるまでは「昔ながらの町の魚屋でありたい」という気持ちで頑張ります。