創業1825 文政8年
名張市松崎町1438-3
電話 0595-63-0333
代表者 青山 育生
■ 取扱商品・サービス
創作日本料理です。料理の幅を更に広げるため、今でもインターネットを使って参考になる料理を研究しています。
板張りの階段を上がった先にある座敷
■ 事業の沿革
朝日町にある観音寺が焼けたときに青山家の過去帳も焼失し、先祖を遡れませんでした。ある日、蔵を整理していた時に木箱の蓋を発見。おそらく食器を入れていたような箱だと思うのですが、その蓋に文政8年の年号と、「は里まや」の屋号が書かれていました。書いたのは青山利兵衛で、その数代前の祖先は藤堂高吉公が幼少の頃、兵庫県にある播磨へ行く際に随行したとのこと。おそらくその地名から「は里まや」と名付けたのではないかと思われます。お客さんからはよく高知県のはりまや橋がルーツではないかと聞かれたりしますが、兵庫県の播磨が屋号のルーツです。私が生まれて間もなく祖父の青山利吉は亡くなりましたが、お客さんから聞いた話によると、岩屋や市内あちこちからわざわざ利吉の牛鍋を食べに来店されていたとのこと。
明治45年に父青山利一が生まれ、学校を卒業後、名張信用組合に勤務していましたが、退職して祖父の後を継ぎました。
私も高校卒業後、1年間、ある会社で働いていたことがあります。淀屋橋にある服地問屋ですが、岸和田のコシノジュンコにも生地を卸していました。その後、津で下宿し三重調理専門学校へ通いました。卒業後は津にある「はま作」という料理旅館に住み込みで働かせてもらい、4年間料理の修行をしたのち、父のあとを継ぎました。
青山家で使われていたという、蒔絵が施された明治期の重箱
「たくさんの方に教わって今の自分ができている」と語る店主の青山さん
■ 経営理念・特色
一期一会を大切にしたいです。職人気質で接客が下手な分、そこは妻に頼り切っています。
■ 江戸後期創業「日本の良さ」味と雰囲気楽しむ
Q 料理旅館として1825(文政8)年に創業され、現在の日本料理店としては3代目ですが、継承されて約40年、どんな思いをお持ちですか?
A 津の料理旅館で4年間修業した26歳の時、2代目だった父が高齢になり、跡を継ぐことを決めました。幼いころから、名張や近隣の、親やさらに上の人たちからも「は里まやさんに世話になってるで」と声をかけて頂くのがうれしかったです。
松崎町が大きな太鼓台(蒲団太鼓)を担ぐ宇流冨志禰神社の秋祭りを始めとした祭りごとや冠婚葬祭など、皆さんのさまざまな節目に立ち会ってきました。「こういう時はこうすれば良い」「この慣例はこんな理由で行われてきた」など、私たちの分かることはお手伝いしますし、地元の皆さんからも「私らのためにも元気でいてや」と、良いプレッシャーをかけてもらっています。
Q 店づくりで大切にされていることや、これからの抱負を教えてください
A 昔からそうしてきたように、料理やお酒はもちろん、大切な人たちが集まった場の雰囲気を何より楽しんで頂くことが喜びです。縁あって名張を訪れてくれた留学生や観光客が立ち寄ってくれるのも、季節の料理や店の雰囲気を通じて「日本の良さ」を体感して頂けているからでは、と思っています。
息子は調理師として他所で勤務し、跡を継いでくれるかどうかはわかりません。私が店を継承したころと時代は変わっていますが、どんな時代であっても、この場所がまちの人や行き交う人たちの集まる場であってほしいと願っています。
往時の雰囲気が残る座敷は椅子席に