創業1764~1772 明和年間

名張市榊町1404-1
電話 0595-63-0238
代表者 田中 英樹

■ 取扱商品・サービス

 漢方薬、基礎食品です。食品とは言っても、サプリメントではなく食品そのものです。

漢方の生薬が並ぶ店頭

■ 事業の沿革

 蔵で発見した書物によりますと、江戸時代は漢方医であったことがわかりました。明治時代に入り西洋医学が導入され、体系化されていくとともに医師は国家資格となり、同時に漢方医の資格がなくなりました。明治時代ですから、西洋に追いつけ追い越せの時代背景一色だったからでしょう。東洋医学の医師が否定されたのです。解体新書にあるように、外科手術は西洋医学の専売特許のように思われがちですが、東洋医学でも実は外科手術はあったのです。
 このままでは東洋医学が衰退していくことは目に見えていました。漢方医が認められないのなら、漢方の薬店、薬局として営業を続けていこうということになりました。
 先代の父から事業を引き継ぎいでからは、私の代で日本東洋医学会に加盟しました。昔は薬剤師が多かったのですが、今は漢方を学ぼうという医師の数の方が多くなっています。西洋医学ではこの病気にはこの薬と決まっているようですが、東洋医学の漢方では病気の様々な症状にきめ細かく対応でき、自己治癒力を伸ばす根本的な治療につなげることができます。自然な治療を目指したいと思う医師が増えてきたとも言えます。

明治以降、特約代理店の店頭に掲げてあった看板

■ 経営理念・特色

 会社名になった「余以徳斉(よいとこせ)」とは、「あまり徳をもってひとしくする」。医学の力の及ばないところは、徳により病人をひとしく治するという意味です。

店舗正面

■ 患者に深く寄り添う

 Q ここにある黒い箱は何ですか?
 A 江戸時代から残っている往診用の薬箱です。漢方医だった創業者が患者さんの家に往診に行った先で調合していたものと思われます。中には、柴胡(さいこ)、葛根(かっこん)、当帰(とうき)など、数十種類の薬草の生薬が5層重ねの箱の中に収められています。

蔵から見つかった江戸時代から残る薬箱

柴胡、葛根、当帰など数十種類の薬草の生薬

 Q明治時代、漢方医は政府から否定されたようですね。
 A 医者は西洋医に限るという明治政府の方針で、漢方医は認められなかった。しかし西洋医学では治せない病気が多くあって、そうした患者が漢方医の所に行って治ったという事例が明治の書物にたくさん残っています。
 西洋医学は「病名医学」といって、この病気にはこの薬を服用するというのが決まっています。例えば頭が痛いというと、どんな人にも鎮痛薬を与えます。
 一方、漢方は「随証医学」といってそれぞれの人の体質・症状に従って治療を施す。頭痛の原因は当然ながら人によって違うわけで、患者さんの目、舌、脈、お腹などを診てじっくり問診しながら真の原因を見極めるのが漢方です。今の医学で足りないのは、そういうところだと思います。

 Q 名張市内に唯一残る漢方専門薬局だそうですね。今まで存続してきた要因は?
 A やっぱり患者さんに寄り添っていることだと思います。薬局として一人の患者さんがお見えになったら、その患者さんの病歴や食生活、体質などについて東洋医学的な判断で証をしっかり見極めます。薬の使い方だけを説明するのではなく、鍼治療・導引・按摩など外科治療が効果的ならその専門を紹介しています。
 食生活も現代栄養学とは異なる東洋医学的養生の大切さを知ってもらい、どういった治療法・養生が一番必要なのかなど最適な療法を考え、お伝えします。そういうことを深く続けてきたからではないかと思います。

 Q お店の今後について教えてください。
 A 店の後継については、長男が薬局に努めており、長女も薬剤師ですので、どちらも継げる状況です。これからも東洋医学を以って、患者さん一人ひとりに向き合い、病気の治療に貢献していきたいと考えています。

患者一人ひとりに寄り添う田中余以徳斉薬局のスタッフと薬局長の田中英樹さん(中央)