創業1873 明治6年

名張市新町221
電話 0595-63-2581
代表者 脇本 俊彦

■ 取扱商品・サービス

 ミストサウナ、水風呂、気泡風呂、薬草風呂、電気風呂があります。冬至にはゆず風呂も準備し、お客様に喜ばれています。

■ 事業の沿革

 初代脇本半兵衛が東京で銭湯経営について学び、明治6年に現在地で開業したのが当店の創業になります。以降、2代目百太郎、3代目松次郎、そして私、4代目の俊彦と続いています。 
 戦時中は父が徴兵されているので、母親と祖母、それに私の三人で銭湯を切り盛りしていました。私はまだ小学生でしたが、学校が始まる前の早朝に薪をリヤカーで運び、学校が終わると再び薪を取りに行っておりました。この頃は銭湯も国の管理下に置かれており、一番風呂は兵隊さん、次に女子挺身隊(女子学生)、学徒、町民と入浴の順番が決められていました。また、空襲を避けるため、煙突から昇る煙に注意を払いながら営業していたことは今でもよく覚えています。
 昭和23年(1948年)に健康と衛生が大切であることが定められた公衆浴場法が施行され、福祉の一翼を担ってきました。しかしながら高度経済成長期に入り昭和40年代初頭にピークを迎え、以後は斜陽化の一途を辿っています。自助努力も必要ですので、平成19年には健康入浴推進員の認定を受け、足浴、腰浴、胸浴の3種類について入浴法の指導も行っております。

玄関横には、創業当時に植えられたという松がある。

■ 経営理念・特色

 核家族化が進み、家庭内においても地域社会においても人間関係が希薄になってきています。こうした状況の中で銭湯の役割が重要視され、地域の人々とのふれあいの場、コミュニケーションの場として見直されつつあります。お客様同士が背中を流し合ったり、石鹸やシャンプーを貸し借りするのは当たり前の風景で、「助け合い」や「心のふれあい」などが銭湯では未だにあります。大阪から名張の住宅地へ引っ越してこられた方の中には、こういった人情を求めて銭湯に来られる方もいます。
 しかしながら、銭湯を取り巻く環境は非常に厳しく、利用者数の減少に伴う収益の減少、経営者の高齢化、施設及び設備の老朽化、スーパー銭湯など大型銭湯の台頭等により、昔ながらのまちの銭湯の転業及び廃業が急速に進んでいます。

懐かしい体重計もある着替え室

■ 唯一の銭湯を守る使命

 Q 今もまきで湯を沸かすのですね。
 A 近くの木材加工場などからヒノキなどの端材を仕入れ、妻(道世さん)と交代しながら毎日午前11時から約4時間かけて沸かしています。井戸水を使い、天然のまきで沸かしている温泉は全国でも珍しいようです。

ボイラーにまきをくべる脇本さん。1日4時間の重労働だ。

 Q 高校卒業後、銭湯を継がれたそうですが、これまでで一番つらかったことは?
 A 昭和34(1959)年の伊勢湾台風で風呂の設備が水に浸かり、1年間休業して利用者に迷惑を掛けたことです。その1年前に、敷地を従来の2倍に広げ大規模改修したばかりでしたのでショックでした。

 Q 戦後の最盛期には旧町に7軒あった銭湯も最後の1軒になったと伺っています。今後の思いを教えてください。
 A 毎月第3木曜の無料サービスデーには130人ほどのお客でにぎわいますが、普段は1日20人ほどで利用者は激減しています。それでも親子3代にわたって利用頂く方もおられ「いつまでもやめないで」と言ってくれるのはありがたいですね。
 くみ上げた井戸水とまきボイラーで沸かすため、地震などの災害で断水や停電が起きても被災者を受け入れられる施設として名張市に協力していきたい。今年85歳になりますが、身体が動く限り銭湯を守っていくのが私の使命だと思っています。

浴場には気泡風呂、薬草風呂、電気風呂もある。