創業1812 文化9年

名張市中町369
電話 0595-63-0248
代表者 松本 成之

■ 取扱商品・サービス

 和洋紙各種、画材、額縁、文具、事務用品、祝儀用品等の販売をしております。

画材や額縁の品揃えは年々充実している

豊富な事務用品を揃える店内

■ 事業の沿革

 文化9年(1812年)初代、松本喜市良が紙問屋として創業し、現在、私成之で7代目となります。伊賀國、名張町と称された明治時代には、現在の赤目地域で和紙の原料となる楮(こうぞ)が栽培され、赤目の滝から流れる豊かな清水で紙漉きが行われ、和紙製造が盛んであったと聞いています。当店はそれらの和紙の問屋として、近辺をはじめ、近江八幡や八日市方面にも和紙の販売をしていました。注文の葉書が残っており、当時の様子を伺うことができます。
 4代目喜代松は、明治40年頃に名張町収入役を務めておりました。
昭和3年に昭和天皇皇后両陛下が御大礼後、伊勢神宮御親謁の際、和紙を天覧、台覧に供えており、そのことが当時の三重県知事、原田維繊氏より4代目喜代松宛てに届けられた文書に記されています。
 5代目喜一は三重県和紙蒐荷株式会社の監事を務めておりました。昭和初期から和紙以外にも文具、事務用品の販売を始め、戦後、6代目喜一郎が受け継ぎ、その後平成にかけて画材や額縁の販売も始めました。

■ 経営理念・特色

 コミュニケーションを大切にしながら、お客様一人ひとりの生活を豊かにするためのお手伝いをし、地域社会の文化、教育の発展に貢献していくことを心掛けております。
 また、商品全般に関する研究を日々欠かさず、専門的知識をもって、お客様に適切なアドバイスができるように努めております。

7代目の成之さんと店を継ぐ長男の喜代武さん

店の外観

■ 「三方よし」を意識して

 Q 文化9(1812)年、和紙問屋として創業したそうですね。
 A そのように伝えられています。当時、主に赤目地区で製造されていた和紙を近江方面などに販売し、また、さまざまな地域から和紙や半紙、ちり紙などを仕入れて販売していたようです。近江地方からの注文のはがきは、現在も残っています。

創業当初、近江からの注文のはがき

 Q その後、和紙から文房具へ、更に画材の取扱いも始められたそうですね。
 A 時代の流れとともに和紙は実用的な分野から趣味的、伝統的な分野へと、その活用範囲はかなり変化してきました。同時に日常生活で使われる頻度は低下し、和紙をすく職人さんも製造元も縮小しているのが現状です。
 それに対応して文房具の取り扱いも始め、その後画材も取り扱うようになりました。時代が変化する中で、そのままのスタイルで持続するのではなく、残さなければならないものは残し、新しいものを取り入れながら店を継続してきました。
 現在は和洋紙各種を取り扱いながら、画材、額の販売を中心に文具、事務用品、祝儀用品などと種類は増えてきましたが、需要が減っても後世に残しておきたいものは置いていくという姿勢は持続していきたいと考えています。

自らデザインしたステンシルを持つご主人

 Q お店の長寿の秘訣はどこにあるとお思いですか?
 A 代々、当店に伝えられているのは近江商人の心得である「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の感覚を大切にしなさいということです。お客さまも当店も満足し地域にも貢献できる。それぞれがうまくバランスが取れていることが大切だということだと思います。その一方だけが得をするという商売は続かないと教えられてきました。
 実際にその様に出来ているかというと自信はありませんが、その教えを意識し、目標にしてきたことが今につながってきたのだと思います。

古い時代の店のちらし