創業1858 安政5年
名張市瀬古口297
電話 0595-63-0440
代表者 村井 嘉嗣
■ 取扱商品・サービス
お米と、夏場限りですが本場三輪そうめんだけです。米は改良され多品種が世に出ておりますが、地元名張の土にこだわりを持つ伊賀米が主力商品です。また、炊飯の失敗をなくすために水加減が極端に変わらないようブレンドを工夫し、店舗にはエアコンを複数台取り付け、低温精米ができる機械で温度管理を徹底しながら、更には色彩選別機で白米を仕上げています。コイン精米機との違いは明らかですので是非お試し下さい。おかげで農家の方からの賃づきのご要望にもお応えしております。
お客さまにいつも笑顔で応対する奥様の俊美さん
■ 事業の沿革
蔵を整理していると○一(マルイチ)と書かれ、幾種類かの形の違う木箱が出てきました。○一 (マルイチ) とは初代市蔵(いちぞう)に因んだもの。おそらく米や餅を入れていたと思われます。2代目藤松が誕生したのが安政5年でしたので、その頃には既に商売をしていたのは確かです。その後3代目鄰雄(ちかお)が大正・昭和にかけて米屋として商売を大きくしたと聞いています。主人の嘉嗣(よしつぐ)は5代目ですが、主人の父である4代目嘉瑞雄(かずお)が母と共に健康であったため81歳まで現役で商売をしていました。主人はサラリーマンとして勤務し、定年退職を機に後を継いで現在に至っております。昭和50年代には米以外にも、麦、大豆、小豆、豆炭や練炭、灯油、そうめん、プラッシーやコーラなどの飲料も扱っていましたが、大型店でも取り扱うようになったので当店での取り扱いは止めました。
初代の市蔵(いちぞう)に因んだ〇一(マルイチ)の屋号が入った木箱
■ 経営理念・特色
たかがごはん、されどごはんと考えています。伊賀米が特Aとしてブランド化されてはいますが、その名に媚びずに安心安全の米にこだわり、身の丈に合った商売と信用を守ることです。
現在の店舗
■ 「今日も仕事が続けられる」ことへの感謝
Q 「日記原簿」と書かれた古い和紙の綴りは何ですか?
A これは戦前の昭和15(1940)年に3代目の祖父(鄰雄)が書いた「配達帳」で、いつ、誰に米を何袋届けたかなど、達筆で書かれています。多い日は1日で数十軒も届けています。
当時の倉庫には米や麦の他、練炭などの燃料などが山積みになっており、精米や配達をする人が泊りがけで働いたようで手広く商売をしていたようです。
昭和15年の配達記録を記した「日記原簿」
Q 今は5代目のご主人と奥さまが引き継いでいますね。
A 主人は60歳まで会社勤務でしたので、私は先代の父(嘉端雄)の仕事を間近に見ながら店番や配達を手伝いました。現在は精米業が中心で、地元名張の農家さんで丁寧に作られた米(玄米)を仕入れ、精米しています。
時代の流れの中で、それまで上得意だった病院やゴルフ場などの業務用ルートがほとんどなくなり、今は個人宅や飲食店への販売が中心です。
Q 精米へのこだわりを教えてください。
A 農家さんが秋の収穫までに手塩にかけて作られた米をおいしく食べるための最後の工程が精米です。これを最高の仕上がりにするため、高性能精米機で米が熱くなり過ぎて成分が壊れないように温度管理をし、石などの異物を除去し、更に色彩選別機により草の実や白濁米などを選別しています。「特別な日にはコイン精米機ではなく、村井で米を搗(つ)いてもらう」となればうれしいですね。
おいしい米に搗き上げる精米機
Q お店が永く続いている理由は?
A 今日も仕事が続けられていることは本当に奇跡です。大きな試練が何回かありましたが、それを何とか乗り越えられたのは永くご愛顧頂いているお客さまであり、先祖のおかげです。感謝の気持ちを忘れず、健康で身体の動く間は仕事を続けていきたいと思います。
河川改修のあった昭和60年までの旧店舗